一円相について考察

白紙に丸だけ書いている一円相というものをご存知でしょうか。

 

昔の聖人たちが自画像と言って書いたものとされているものです。

 

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なぜ◯と表現したのか、私の解析です。

 

悟りの観点から言ったら、丸でなくともなんでもよかったと思います。

 

しかし、一円相とした意味があります。

 

これは禅問答とつながっており、師匠が弟子にこれが私です。と言って弟子に見せたシチュエーションを想像してみてください。

 

そうしたら弟子はなんていうと思いますか?

 

弟子

なぜ◯を書いたのですか?

◯の中がじぶんですか?

外が自分んですか?

それとも境界線の黒い線が自分ですか?

 

などなど、質問をしたくなるのではないでしょうか?

 

ここに師匠の知恵があるのだと私は思っています。

 

質問がオートで浮かんでしまう=悟っていないと判断できる。ということです。

 

悟りの観点からみたら、自画像なんて書けない、不立文字、決め付けられない何かなのです。

 

それに対して質問が出るということは、まだまだ修行が足りないぞーっていう師匠流の愛だと思います。

 

昔の禅問答も悟った人は、時空間に支配されない人ですので、ぶっ飛んでいた人が多かったですね。

 

今は、悟ったとしてもぶっ飛んでいては、変人、変態、精神崩壊と言われる時代ですので、礼節を持って行動することが必要になります。

 

あえて縛られて、それを楽しむ境地。